日本のポップ音楽の歴史
国内外で「J-POP」と称される日本のポップ音楽は、世界中に数多の愛好者がいる主流なジャンルの音楽です。90年代にJ-POP人気に火が付きましたが、そのルーツは日本の戦前の時代にまでさかのぼることができます。年月を超え、多くのアーティストがこの音楽の象徴にその名を刻みました。この記事を読めば、いつだって古き良きJ-POPを味わえます。さあ、J-POPの世界を旅しましょう。
ジャズと流行歌の時代ー1920年代~1950年代
1912年には既に、クリエイティブな人々が、現代にも通じるポップ音楽を創り出していました。時は大正、ハーモニカや弦楽器が音楽に取り入れられた時代です。ブルースやジャズが日本で人気を集め始めたのもまた同じ頃です。その時代にアルバムを制作したミュージシャンは皆、自分たちの作品に西洋のジャズの要素を取り入れたものです。ペンタトニックスケールを使って作られた歌は、日本の歌い方だと考えられました。
本当の起源とは。歌謡曲の時代ー1960年代
流行歌も歌謡曲も、西洋の要素における西洋の楽曲が日本で公に融合したものを表す言葉として同じ意味で用いられます。そしてこれらは、日本の現代ポップ音楽の本当の起源だと考えられています。この流れで、歌謡曲は演歌と共に60年代の放送電波を支配し、そしてロカビリーを生み出しました。西洋音楽を日本語に訳し、歌謡曲のビートに乗せて歌うことで日本の音楽界のトップの座を手に入れたのです。日本のミュージシャンが、自分たち自身の音楽を作り始め、それを外国へ向け翻訳するのはその後のこととなります。
60年代の最も偉大なサクセスストーリー
元ザ・ドリフターズのメンバー、坂本九の名前を聞いたことがありますか?あるなら、あなたはきっとこの音楽ジャンルの長年のファンでしょう。たぶんこのジャンルでもっとも成功したのが坂本九です。坂本の「上を向いて歩こう」は、後に「SUKIYAKI」と改題され、アメリカでもリリースされました。予想をはるかに超え、日本でもアメリカでも瞬く間にヒットチャートを上り詰め、アメリカのビルボードで一位を獲得するまでとなりました。
ザ・ピーナッツ
坂本が話題にのぼれば、忘れてはならないのがザ・ピーナッツです。音楽界と映画界の両方でデビューした双子の女性デュオで、坂本に比べると演歌界でのパフォーマンスをより多く行いました。坂本はのちにザ・ピーナッツとジョイントし、楽曲もリリースしました。他にもここに紹介したいアーティストとして、60年代後半にかけて名を成した藤圭子がいます。藤は演歌と歌謡曲をつなぐシンボル的存在として長く活躍しました。
まとめ
日本の音楽は世界的にもよく知られています。J-POPは、老若男女問わず愛好者がいて、世代から世代へと、年月を越えて発展し続けています。演歌と歌謡曲もまた、J-Popと比較すればそれほどの勢いではないにせよ、その独自の形で成功することでしょう。明るく陽気に過ごす週末であれ、ワインと共に静かに過ごす午後であれ、J-POPはいつも手に取るに値するオプションとなります。